アーティストミーティング&報告会#2 2018.1.28:坂本夏海、滝朝子

  今回は坂本・滝が話し、ゲストに社会・福祉の分野をジェンダーの視点で研究されている堅田香緒里さんをお招きしました。 坂本は今回の展覧会で魔女についてリサーチをしています。堅田さんは「魔女」という生き方をある理想形として捉えています。過去作品「Unforgettable Landscape」を見た後、様々な視点から議論がなされました。 ある女性がどのような役割を持ち、どうして「魔女」になったのか? 近世ヨーロッパで社会パニック的に起こった「魔女狩り」の起こった社会変化や、資本主義に向かっていった近世の意識とは?、ジェンダーやフェミニズムについて話す時の話づらさなどを話し合いました。 後半は滝・小口が担当するライブラリーについてメンバー同士で話し合いました。 以下レポート トークイベントメモ:坂本夏海 坂本さんは家の近くにある、魔女と名乗る方が営む喫茶店に通って話を聞き、その人のインタビューに基づいた映像を制作している。(そこで頂いたハーブティーをトーク中に飲みました。) なぜ魔女に出会ったかについて。 2014年、ロンドンのファインアート科の大学院に行く前、自分の祖母の記憶や忘れられない風景について日本で制作をしていた。その風景というのは、北海道にある「ナナカマドの樹」がある風景。日本ではアイヌで儀式に使われるなど、神話と絡んでいたり、また同時に祖母のパーソナルな風景でもある。 木と物語を出発点として、イギリスでも何か出来ないかと考えていた。気候が北海道とちょうど同じくらいで、ロンドンでは街路樹としてナナカマドの樹が多いことを発見し、街の人にナナカマドの話を聞いていった。でもロンドンは移民が多く、その土地の人と植物と結びつきが弱く、多くのことを知る人はいなかった。じゃあちょっと旅をしようと、スコットランドに入ると、ナナカマドを知っている人に多く出会った。人々にインタビューをして行き、最後に魔女よけとして庭に植えてるという人が多く居るというのを知った・・・「Unforgettable Landscape (ROWAN TREE)」はこのような作品だ。 -「Unforgettable Landscape (ROWAN TREE)」上映- 展示風景「チェルシー・カレッジ・オブ・アーツinterim show」(2014) チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ、ロンドン この作品でランダムに出会ったことをロンドンから持ち帰り、反芻し、ディベロップメントさせていて、魔女というキーワードに興味を持ち、リサーチを始めた。 -作品を作るのにどれぐらい掛かるんですか? この作品はリサーチ、人に話を聞くのを含めたら4カ月ぐらい。 ここ(スコットランド)では、人々が悪い魔女というネガティブな意味で魔女という言葉を使っていた。ナナカマドの樹も、魔除けになると言って庭に植える風習が今も残っている。また日本だと、魔女というとファンタジーのイメージが強い。魔女という言葉には色々なイメージがある。 この作品(「Unforgettable Landscape (ROWAN TREE)」)を制作していた当時は魔女とフェミニズムや女性の歴史などの関係性をほとんど知らなくて、それを考えるきっかけになったのが、今飲んでいるお茶をくれた魔女の女性だった。 -お店を描いたドローイングをみながら- 今回は取材を映像や録音で記録するのをやめようと思った。この場所に興味をもったのは偶然で、息子を児童館に毎日連れてった途中に新しくできたお店を発見して、庭がイングリッシュガーデンで素敵な所だなと入っていったら、店主の方が「自分は魔女だ」と言ったことがきっかけだった。お店にはケルトの十字とかがあった。そこで知ったのが、魔女って誰でもなれるということ。彼女も自分を魔女と名乗っていて、魔女の仕事としてカフェを営んでいると言っていた。何のことだか最初わからなかったけど、取材をしていくうちにWicca(ウィッカ)という、特にアメリカやヨーロッパを中心とした魔女宗というのがあることを知った。それはキリスト教の持つ一神教的な考え方や、女性軽視の構造をもつことに対して、反発の精神をもっている。ウィッカは女神と男神がいる多神教で、自然崇拝の復興を目指し、宗教のように決まった儀式や白魔術というおまじないをしたり、日本でもしている人たちがいる。私が出会った魔女の女性もウィッカの師匠がいて、そこから習ったらしい。資格はないらしく、自分で勉強して、実践する。彼女の話を聞いて、「あ、現代にも魔女っているんだ」というか、現代で実践してる人がいることに驚いた。 そこからこの本「キャリバンと魔女(シルヴィア・フェデリーチ著)」を読み始めた。 話は戻るけど、記録はデジタルを避けて、紙でメモしたり、カフェに通って直接話を聞いて、魔女はどういうものであるかを知ろうと思っている。魔女の世界が父権じゃなくて母権って彼女が言ってたことは、フェミニズムに繋がっていると感じた。彼女は薬草を育てているんだけれど、食べ物とか大地から育つものが自然の恵みで、それらを崇めるのが母権的な教えなんじゃないかという話をしてくれた。彼女自身もあまりマジョリティに属せなかった幼少期を過ごしたこともあり、魔女っていうのが普段は差別されるけど、ピンチの時には占いをしたり薬を煎じてくれる、村のはずれにいながら頼られる存在のイメージがあったそうで、それが自分の憧れの職業となったそう。魔女としてお店をやる夢は30代くらいに浮かんだそうで、お茶やハーブを煎じ、占いもするというお店を今されている。 魔女の歴史をフェミニズムで紐解くと、元々魔女とはどういう人々だったのかを考えると、全員黒魔術とか悪魔みたいなことをやっていた訳ではなくて、もとはただの賢い女性だったことも興味深い。西洋医学の発展する前に薬草を煎じた人たちは現代の医者のような役割をしていた。 性に関する話だと、出産を目的としない性行為は、キリスト教の中でカトリックだと死罪で、娼婦も、中絶する女性たちも魔女と呼ばれた。魔女といえば人を呪うとか恐ろしいイメージがあるけど、実際魔女狩りで告発されたのはただの農民女性だった、むしろ自立して賢い女性たちだった、という歴史がある。 魔女狩りの背景として、ちょうど資本主義が生まれた時、つまり封建制から資本制に変わった時の社会の流れがあった。抵抗していく女性たちをどんどん殺していこうという流れがあった。また魔女狩りは、再生産、子供を産む等、女性の長所によって得てきた力に対する攻撃でもあった。 この本では、女性の体と労働と性的な再生産能力を国家が全部持ってしまおうという目論見があったんじゃないかっていうのを言っている。 例えば魔法を使う=労働をしなくていいんじゃないかと思わせたり、中絶は女産婆さんが勝手にやったんじゃないか、と魔女の疑いをかけたり。結局、産婆は元々女性の仕事だったのにこの時代の流れで一回全員男性にとって代わられた。 あとなんで再生産かというと、この時代人口がすごく減っていたのもあって、次の労働力を産み出さなきゃいけないということで、女性の子宮を国がコントロールしたいということもあったりとか。 そういう意味でそれにそむく女性たちを魔女というレッテルを貼って、身近な人々が魔女を政府に密告していった。 そのように家父長制が確立されていった。中世には魔女はいたけど迫害はなかったそうだけど、魔女狩りでどんどん消された。その背景は同時期に伝染病が流行ったり不安定な民意が募って集団パニックになったことも。 魔女狩りがなかったら世界はどんなものになっていたかを想像してみたい。 インタビューをしている彼女にも女性や母親などの役割について思うことやライフストーリーを聞いていて、現代の魔女がどういうものなのかなど、自分の興味を詰めていっている。 作品は、事実を伝えるだけでなく、ドキュメンタリーのように相手の話を紡ぎながら、物語や曖昧なフィクションを作品の構造に入れていきたい。 魔女の語源は垣根を越える人という意味だそう。その垣根は階級や宗教、男女でもいいし、障がいとか、しがらみから抜けだすという意味での様々な象徴になると思ってる。 自由に生きるっていうのが魔女で、実践としてやっているのがこの女性なのかなと思っている。 ドローイングも入れる予定。 魔女狩りをプロパガンダとして広めた最初の手法として絵があって、印刷技術が広まった時代と重なった。集団パニックになった理由も、メディアが「これが魔女の顔です」と広めたせいで「あーあいつはそうだ!」と民衆を促した。もちろん、これに加担した画家たちもいた。人々の記憶に及ぼすイメージの力、絵の力、が気になっているので、これらのイメージを解体する感覚でやってみたい。(アルブレヒト・デューラーの絵をみながら)これがほうきに跨った魔女。 映像作品と、インスタレーションでドローイングをやろうとしてる。 ~ディスカッション −魔女がキリスト教ではないという話について。魔女の宗教はどういうもの? −宗教はその地域によって変わっていく。ヨーロッパ内で当時飛び火のように魔女狩りが起きていたから、各場所によって事例が違う。 ウィッカは1960年代頃に出来たもので、自然崇拝、女神崇拝が基本。儀式や内容は、満月にやる儀式とか色々ある。エジプトとか、ケルト等様々な宗教のいいとこ取りで合わせた感じだそう。フェデリーチは魔女と宗教の関係については書いてなかったので、他の本にはあるのかもしれない。 … Continue reading アーティストミーティング&報告会#2 2018.1.28:坂本夏海、滝朝子

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アーティストミーティング&報告会#1 2017.12.1:カタリナ・グルツェイ×セナ・バショズ

2017年12月1日に行われた上映会のレポートです。 今回は2018年6月から開催されるQuiet Dialogue展の出品予定作家であるカタリナ・グルツェイ(オーストリア)とセナ・バショズ(トルコ)の過去作品の上映会を行いました。 鑑賞後はスカイプでミーティングを行い、作品についての背景や各国のジェンダーにまつわる問題などを話し合いました。 詳しくはこちらのファイルをご覧下さい。>>>2017.12.1レポート

ポップアップライブラリー -Invisible Mothers-

「ポップアップライブラリー -Invisible Mothers-」※Please scroll down for English version 神田にできた小さなスペースで、アーティスト・研究者がリサーチで使ったまたは興味のある本、小作品や写真を共有する空間を作りました。本を読んだり、参加者と話したりしに来てください。 「Mother(母)」とは、血のつながり以外の関係も意味します。それは”母国語"のように言葉であったり、”母なる"大地であったり、または尊敬する女性への敬愛を込めたよび名でもあります。私たちは今までどのような「母」たちと出会ってきたのでしょうか。「母」たちは、家庭のなかだけでなく、教育、文化、経済や政治など様々なところにいます。しかし、なかなか焦点が当てられない、見えないもの (Invisible)になっている女性はいないでしょうか。そのことを考え、現代を生きる私たちの身近にいる「母」たちについて知るきっかけを探ります。 <会期> 2017年7月7日(金)~7月21日(金) ※日曜日を除く 午前11時~午後7時 <場所> KANDA MUSEUM 101-0047 東京都 千代田区 内神田1-16-4 FUTURE HOUSE lab. 1F <参加> Asako Taki, Mei Homma, Naomi Oguchi, Ai Kano, Masumi Kawamura, Akira Rachi, Katharina Gruzei, Natsumi Sakamoto+α <企画> Back and Forth Collective <協力> FUTURE HOUSE lab., つばめ舎建築設計 <選書リスト> https://backandforthcollective.files.wordpress.com/2017/07/pul_list3.pdf <Back … Continue reading ポップアップライブラリー -Invisible Mothers-

👩👱Femi-kitchen👧👦

Back and Forth Collective よりお知らせ Femi-kitchen 料理を作って、食べながらフェミニズムについて語らう会です。 料理はなんでも良いです、作ってみたいレシピを持ち寄りましょう! 今回は時間もあるので、発酵食品など仕込み料理も大歓迎です 日時: 2017年5月20日(土) 13:00-17:00 場所: 内神田集会室B1F料理室 〒101-0047 東京都千代田区内神田1-1-3 神田運転免許センターのとなりです。 料理しない方、後から来る方もぜひ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 献立: ①アイントプフ (ナチス時代に庶民が第1日曜日に節約することを奨励されて食べていたスープ) ②味噌 (保存用に味噌を手作り) ③干し飯 (戦中などの保存食) ④やきそば (余りもの) ⑤タピオカ入りデザート (タピオカは日本が東南アジア侵攻をしていた第二次世界大戦中のシンガポールやタイなどで生き残るための主食であった) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ レポート

Closed Event

日時:2017年2月27日(月) 19:30〜22:00 場所:都内某所 今回は最初の集まりとして、ひとりずつ簡単に自身の活動紹介を行います。 何回か集まりを重ねて、最終的にはジェンダー(特に女性について、性の自由や権利、現代や歴史など)に纏わるスクリーニングか展示を企画する予定です。

2013 Film Screening & Reading Archive

2013年2月4日 フィルムスクリーニング “ヒロシマ・モナムール” (1959) アラン・レネ レポート: https://tmblr.co/Z6fk3tdYlvGV 2013年2月18日 フィルムスクリーニング “霧と夜” (1955) アラン・レネ レポート: https://tmblr.co/Z6fk3teajMcH 2013年2月22日 読書会 “自然的経済秩序” (1920) 第4章 シルヴィオ・ゲゼル レポート: https://tmblr.co/Z6fk3tffQXSH 2013年3月9日フィルムスクリーニング “シルヴィアのいる街で” (2007) ホセ・ルイス・ゲリン レポート: https://tmblr.co/Z6fk3tgqizTu 2013年3月15日フィルムスクリーニング “日本の霧と夜” (1960) 大島渚 レポート: https://tmblr.co/Z6fk3tk_zcG2 2013年4月7日 読書会 “Dream: Re-Imagining Progressive Politics In an Age of Fantasy” (2007) 第1・6章 スティーヴン・ダンコンブ PDF:http://www.stephenduncombe.com/…/up…/2012/12/Dream_final.pdf 2013年6月9日フィルムスクニーリング “LEVEL 5” (1997) クリス・マルケル First Screening “Hiroshima Mon amour” 04/02/2013 The … Continue reading 2013 Film Screening & Reading Archive

支流:Looking for the way of resistance

「個人的なことは政治的なこと(The personal is political)」。これは60年代以降のアメリカで起こった学生運動や第2波フェミニズム運動のスローガンだが、個人的なことだと思って諦めていたことが、実はその社会によって抑制されていたというのは、いつの時代にも共通しているのではないだろうか。共同体において起こりうる対立や嫌悪、制度のもとに切り捨てられ抑圧され続けるもの、人間が生み出す拒絶と受容はどのようにして表れるのだろうか。   【 作品 】 『個人の発信』 滝 朝子|Asako Taki さまざまなニュースや記事をSNSでシェアしながら、しばしば単焦点的に語られる問題を自分の中で深めるプロセスとして、記事を印刷した紙の上にドローイングを描く。本展では「防衛」に関するドローイングによって、立場による視点の違いから抜け落ちる想像力を補完しあうイメージ群を提示した。 『マイコの国に関する私のノート -Catatanku tentang negeri Maiko-』 本間メイ|Mei Homma インドネシアを代表する作家プラムディヤ・アナンタ・トゥールの小説やアーカイブ資料をもとに、日本の近代化や第二次世界大戦前のインドネシアにおける日本人コミュニティ形成について再考する作品を発表した。 『unrealized article, 1921』『untitled (measure, september 2)』『question no.27』 良知 暁|Akira Rachi アメリカ合衆国ルイジアナ州で1964年に使用された参政権をめぐるリテラシーテストの一部を引用したファウンドポエトリーのほか、「ある場所を歩く」という継続的な行為と記録、イメージの関係性をめぐる作品を出品した。 会期:2016年11月24日(木)〜27日(日) 会場:HIGURE 17-15 cas(東京都荒川区西日暮里3-17-15) 入場無料 開催時間:11/24(木) 25(金)17:00-21:00、26(土) 27(日)13:00-20:00 レセプション:11月26日(土)18:00-20:00 企画・作品展示:滝朝子、本間メイ、良知暁 主催:CAMP http://ca-mp.blogspot.jp/2016/11/resistance.html